太宰府の梅と大宰府政庁跡
今年初の太宰府は、国立博物館での「王羲之と日本の書」と
観梅、そして大宰府政庁跡へ行くという目的でした。
充実の一日でした。
今年初の太宰府行き
ロングシートでガッカリでしたがなにしろ速いんですよ。
急行の太宰府直通電車は、停車駅が少ないので
時間の割に早く着いた印象があります。
「王羲之と日本の書」展では、
「蘭亭序」、最澄の真筆、
さらに、平清盛が奉納した法華経法師品第十を見ることができて大満足でした。
書を嗜む方も観覧に見えているらしく盛況でした。
梅は、まだ大丈夫かなと気がかりでしたが
まだまだ、満開状態で一部つぼみの枝もあったくらいで
充分撮影に間に合いました。
境内に入りました
去年、梅のシーズンに訪れた時に、
まだ満開ではなかった皇后の梅(きさいのうめ)も咲いていました。
境内も、大盛況。
本殿前には、順番待ちの列ができていました。
年々観光客が増えてきてますね~
しだれ梅(枝垂れ梅)の写真は難しい~
しだれ桜とは言いますが「しだれ梅」って言うのかなと思いましたが、
梅も、しだれ梅って言うんですね。
ホントに物知らないなぁ…
しだれ梅と一口に言いますが、10種前後あるそうです。
どれがどれだか名前を入れられません…
植物の見分けって難しいです。
しだれ梅を、しだれ梅として撮影するのって難しいです。
アップにしすぎると、普通の梅に見えるし
引き過ぎると、花がチマチマし過ぎて面白くない…
間をとって撮影しましたが、
ピントをどこに求めるかが非常に難しいです。
今年は、かなり梅の写真を撮りましたので、
太宰府では、雰囲気がすこしわかるように
引き気味に撮影しました。
梅は、満開でも花の輪郭がハッキリしているのが桜と違いますね。
桜は、ヒラヒラしているのに対して梅は、しっかりしている感じです。
桜ほど平らに開かないようです。
大宰府政庁跡へ
太宰府へ来たら「一蕎麦」
一度だけお休みの時がありましたが、それ以外毎回寄ってます。
西鉄太宰府駅から大宰府政庁跡までバスで行けるのですが、
空港や博多駅へ向かう人の列が2~30mはあり、
15分ヘッドのバスとは言え、いつ乗れるかわからないので
タクシーで移動しました。
バスで100円の距離なのでタクシーも安いと思ったのですが、
道路も渋滞で880円かかりました。
でもいつ乗れるかわからないバスを待つより安いもんです。
バス停のすぐそばが、大宰府政庁跡の正面なのですが
実際に建物が残っていたら、
それは壮観だったろうなというほどの広さです。
ここを訪れたのは初めてですが、
梅の全体を撮影したのも初めてです。
案外、こういうふうに撮れるところって少ないものです。
元は、草茫々で畑としても使用されていた土地だったそうで、
遺跡として保存するまでにかなりの時間を要したそうです。
埋めてしまうのはあっけないですが、
保存するというのは大変な作業を要するんですね。
福岡の歴史を残す上で大変有意義だったと思います。
ちなみに礎石は全てが本物ではなく
側面に穴の開いている物は、復元したものだそうです。
正面入り口の右側に資料館がありますので、
そちらを是非訪れてみてください。
学芸員さんの大変丁寧なお話を聴くことができて、
知らなかった福岡の歴史を
改めて調べるきっかけをたくさん頂きました!
太宰府天満宮の変遷
学芸員さんに伺ったお話の中に
太宰府天満宮の歴史もありました。
驚いたことに、元はお寺だったんですね。
菅原道真の遺骸を「安楽寺」への葬送する牛車が
同寺の門前で動かなくなったという話は有名ですが、
同寺の境内に廟を建立、天原山庿院安楽寺と号しました。
後に神仏混合により「安楽寺天満宮」として共存していましたが、
明治維新の神仏分離により、安楽寺は廃寺となってしまったようです。
もっとも、文献によると
牛車が動かなくなった当時から
「いまは寺塔漸荒廃に及はんとす」とあることから
すでに荒れ寺だったようです。
ということは、
正式に単独の太宰府天満宮になったのは明治以降ということになり
道真の没後から天満宮だったわけではないということですね。
この辺は、陰陽師よろしく祟りの話が繰り返し出てきて
その都度、道真の地位が上がっていくのが滑稽です。
歴史を全部ここに書くわけにもいかないので
興味のある方は、是非お読みになってください。
眼から鱗、間違い無しです。
参考にさせていただいたのは、こちらです。
先にお話しましたが、
これを調べるきっかけになったのは、
大宰府政庁跡資料館の学芸員さんの説明によるものです。
大変意義ある一日としていただけたことに感謝いたします。
さらに福岡の歴史を知りたいと思います。
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